82年前、日本海軍の爆撃機1機が横浜市の称名寺(金沢区)近くに墜落し、2人の兵士が命を落とした。記録が見当たらず、公になってこなかった事故。当時墜落現場を目撃した一人の女性が独自に調査を進め、供養のために手を合わせ続けている。金剛力士像が… ...
小松の繊維統制会社が国に寄贈した爆撃機の写真 旧日本海軍の軍楽隊が行進した当時の町を案内する関戸さん=小松市材木町 太平洋戦争中に小松市の織物会社が日本海軍に献納した爆撃機の写真を市内の男性が保管している。小松原糸織物商業協同組合=2011 ...
太平洋戦争中に小松市の織物会社が日本海軍に献納した爆撃機の写真を市内の男性が保管している。小松原糸織物商業協同組合=2011年に解散=で専務理事を務めた関戸昌郎さん(90)=同市材木町=で、1996年に組合事務所を整理していた際に ...
太平洋戦争中の米軍撮影映像を解析している大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」(平田崇英塾頭)は7日、戦後80年3回目の映像公開を同市の教覚寺で実施した。鹿児島県喜界島北部の志戸桶集落に日本軍が設けた「模擬飛行場」や、軍関連施設とみなされて容赦ない ...
崩れた説明板を背に、戦時中を振り返る西森さん(右)と山下さん(久万高原町で) 西森さんが説明板の内容を書き写したノート。墜落の経緯や亡くなった搭乗員の氏名などが記録されている 太平洋戦争末期、高知との県境にある柳谷村(現久万高原町 ...
無差別爆撃といえば、米軍の日本本土空襲が想起される。アジア・太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、鹿児島県内を含む全国の都市に空爆を繰り返し、街を住民もろとも焼き払った。そんな非人道的な作戦の先例をつくったのは日本軍だ。38年 ...