第二次世界大戦末期、マニラでは10万人以上の市民が犠牲となる悲劇が起きました。日本ではあまり語られないこの歴史を振り返りつつ、それでもフィリピンが世界屈指の親日国であり続ける理由を解説。忘れられた戦争の記憶と、未来志向の関係に学ぶべき点を考えます。
2025年夏。東京の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、シベリア・モンゴル抑留犠牲者の追悼式が開かれた。そこには、白寿(数えで99歳)を迎えた台湾出身の元日本兵 ...
パラオ諸島南西部の小島、ペリリュー島。 太平洋戦争 中、日米の激戦地となり、日本守備隊約1万人のうち生還したのはわずか34人だった。  アニメ映画「ペリリュー―楽園のゲルニカ」が県内でも公開中だ。漫画 ...
家族の記憶<1>ドナルド・キーンと養子・誠己さん(上) 史上最多の犠牲者を出した第2次世界大戦が終結して間もなく80年となる。戦争体験者が年を追うごとに減っていく中、最も身近な存在である家族は体験者の生きざまや思いをどのように ...
アジア・太平洋戦争では、捕虜虐待や虐殺などの「通例の戦争犯罪」を問われ、BC級戦犯として多くの日本軍兵士が裁かれた。敗戦から80年のことし、あるBC級戦犯と、その遺族を追った。4月13日。時折小雨が降る中、東京・池上の照栄院に、元川崎市立… ...
戦時下の美術というと、勇ましい戦闘の場面を描いた「作戦記録画」を思い浮かべる人も多いだろう。しかし今展に登場するのは、無垢(むく)で、たくましく時代を生き抜こうとする子どもたちの姿だ。担当した同館の弘中智子副館長は「今年は作戦記録画などをテーマにした ...
なぜ戦争に至ったのか。戦費調達のありようと清算の帰結とは。戦時戦後の経験は日本経済をどのように規定しているのか。敗戦から80年の節目に振り返る。 日本は80年前の1945年8月10日、ポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏することを決めた。
太平洋戦争に陸軍船舶部隊として従軍した祖父の体験記を、愛知県津島市の主婦レイシー百合佳さん(36)が英訳して出版した。仕事や育児の合間に7年がかりで翻訳し、戦後80年の今年、完成させた。「世界中の人に読んでもらい、戦争を自分ごととして ...
今から80年前、 日本の美術 家たちはどのように子どもを見つめていたのか。1937年の 日中戦争 開戦から終戦後の49年までの間に制作された絵画や彫刻などからたどる展覧会「戦後80年 戦争と子どもたち」が、東京・ 板橋区立美術館 で開かれている。
ウィルキンソンといえば、いまや多くの日本人が愛飲する炭酸水として知られている。そのルーツは、明治時代の神戸に住んでいた英国人が兵庫・宝塚で出会った炭酸泉にある。太平洋戦争後にさらにビジネスを大きく発展させたのがウィルキンソン社の3代目社長ハーバート・ ...
高市早苗首相の指示を受け、自民党が安全保障関連3文書の改定検討に着手した。「死の商人となる」と批判が上がる防衛装備品の輸出規制緩和や、さらなる防衛費増が焦点となる中、こうした政権の動きを軍事国家化と捉え、むしろ戦争のリスクを高めるとみるのが、安保法制 ...