そもそも新京は平坦な地にあり、攻撃を受けた際に防御態勢をとるには不向きだ。そこで関東軍は昭和20年初めごろには、ソ連軍が侵攻してきた場合には、敵に消耗を強いながら朝鮮国境の山岳地帯でソ連軍を食い止める計画を立てていた。